つめつめで目が回る充実感のウソ


最近ポーッと頭に浮かんでるテーマがある。
「地域」と「教育」。
具体的にどうだとか、仕事にするしないうんぬん、とかじゃなく(意識はしてるけど)、私の身体の中から引っ張り出してきた、テーマ。今はこれ。
この2つになにかしら関わる、クロスする、生き方がしたいなぁ、って、今は思ってる。もちろん、毎日過ごす中でぽこぽこ、脳みその中から小テーマ、生まれてくるわけで、変わることもあるかも知れないけれど、5月2日のわたしはこうです。

で、気になるなぁ、って思うことひとつ。
「教育」って、なんで「教」「育」、なんだ?
「教育する」は「教えて育てる」って意味だよね。なんかここに、違和感がふつふつ。
本当にそうだろうか?
もっと、「フレー!フレー!」っていうもので、「わくわく」するもので、「ほんなもん知っとるん?あちゃあ、ありがとう」ってものやないんかな。
「先生」っていう高位にいる者から、「生徒」に与え授けたまふもの、みたいな響きに、ぞぞっとする。
…って言いつつ、他に代わりになる言葉はなくて、使い続けるんだけども。
こういう言葉ひとつにひっかかって、ついついアンチな気持ちになってしまうのって、その「きょういく」の行為そのものに、ザワザワした気持ちがあるからなんだろうなぁ。もちろん、生徒と必死に向き合って、がんばる先生たちはいらっしゃる。

どこかの本で読んだ。
「この人が先生、って思ったら、その人はあなたの先生なんだ」