人を想う。

今日のこの気持ちを残しておくべきだと思った。

人が人を傷つけたり、傷つけられたり、
それによって誰かの大切な人の心がもうかえってこなくなってしまうような
それが「戦争」であれば私はいやだ。

「国民を守るため」という大義を掲げて、
誰がその戦地へ向かうのだろう。
戦地へ向かう人のことを大切に思う人たちは、どんな気持ちで送り出せばいいのだろう。
戦地で苦しむ人たちが犠牲になってもよいのだろうか。自分の国とは「密接な関係」でない、遠い国の人たちだからといって。
誰かに悲しみをもたらして、それを踏み台にして得られるものは「平和」なのだろうか。

多くの途上国で人道支援に取り組まれている方、特派員として戦闘地域での取材をされてきたジャーナリストの方が口を揃えておっしゃっていること。
「日本は武力をもたずして戦争から復興を果たした平和な国家。それをみんな知っているから、だからどこへ行っても温かく迎え入れられる」
これが武力をもったらどうなってしまうんだろう。自分たちがもしかしたら「敵」とみなされてしまうかもしれない。
それによって助けられるはずの誰かを助けられなくなったり、自分たちの命が危険にさらされるかもしれない。
また何の罪もない弱い立場にある人たちを、私たちが武力をもって傷つける、「加害者」になってしまうのではないか。


風呂で考えていたら、涙が止まらなくなった。本当はもっとおだやかな言葉をもってして書き記したかった。私は「国」を主語とすることが好きではない。そこにいる「人」が見えなくなってしまうから。そしてその「外」の人たちとの間に隔たりをつくってしまうように感じるから。誰も、傷つける側にも、傷つけられる側にも、なってはいけないんだ。心をもって、未来をつくっていかなきゃいけないんだ。


こんなに苦しい夜は久しぶりかもしれない。

どうしても、今日のこの気持ちはのこしておきたかった。
2015年7月15日 人を想って。



すみれ